日光東照宮は徳川家康を御祭神とし、三代将軍の徳川家光のときに現在の社殿のほとんどが完成した由緒ある神社です。江戸時代、日光東照宮のような格の高い社寺に参拝する時は草履を履くことが決められていました。ところが、日光は坂が多く冬は積雪があるため歩きづらくて大変でした。そのため、草履の下に下駄を付けた「御免下駄」が作られ、大名や神官、僧侶の正式な履物とされました。明治になると、改良されて庶民も履くようになり、それが「日光下駄」として現在に受け継がれています。「日光下駄」の職人で、日光伝統工芸士の山本政史さんの工房を訪ねました。
技術を受け継ぎ、工夫を重ねて現代の日光下駄を作る
山本さんは、サラリーマンだった1993年に、伝統工芸の後継者育成事業の案内を目にして興味を持ちました。日光で生まれ育ったため、子どもの頃から日光下駄の履き心地のよさは知っていました。大きな決断をして、当時、日光下駄の唯一の職人だった、山岡和三郎さんのもとで学び、独立したのです。
工房があるのは日光市内でも観光地ではなく、自然に囲まれた静かな場所。伝統技術を受け継ぎ、さらに独自の工夫を重ねて30年、毎日こつこつと製作しています。現在日光下駄を作れるのは、山本さんと山本さんが育てた職人、数人だけなのです。
国産の材料で一足一足手作り
山本さんが作る日光下駄の素材はすべて国産のもので、その多くは栃木県産です。麻紐は、鹿沼市で栽培されている麻を自身で撚ります。手のひらの中で回しながら撚っていくと元に戻らず、しっかりした紐になり、下駄の要所要所に使っていきます。
草履は真竹を処理した白竹の皮を使っています。濡らすとしなやかですが、乾くとパリッとしっかりします。さらりとした肌触りが足の裏に心地よく、吸湿性に優れているため夏は涼しく、乾燥にも強くて冬も快適です。昔は地元でたくさん採れた竹も今では少なくなり、九州から取り寄せています。
竹皮は3日かけて硫黄でいぶします。この処理をすることで、竹皮が強くなり、色も白くなります。ちなみに、栃木県の特産品の干瓢も硫黄で燻蒸されているそうで、山本さんはここから硫黄を購入しています。
鼻緒に使う布は多種類あり、履く人の要望や生地によって厚みが違うため、幅や長さを調整しながら、一枚一枚山本さん自身がミシンで縫っています。鼻緒の中に入っているのはもち米のわら。農薬を使ったうるち米のわらだと肌が荒れるというお客さんがいて、国産の無農薬米を探した結果、地元のもち米がベストだったそうです。このわらも叩いて柔らかくして、足に馴染むように下処理を行っています。
日光下駄の歯の原型は、ハの字の形に広がっていることで、雪が付きにくく安定して歩けるように計算された形です。草履の下に普通の下駄をくっつけたのとはまったく違うということがわかりますね。
下駄部分の形は6種類あります。さらに、現在の暮らしに履きやすいように高さを低めにしたり、底にゴムを貼ったものなど、サンダルのように気軽に履けるものも考案しています。丈夫で長持ちする日光下駄ですが、すべてが手作りなので、修繕も可能。山本さんが初期に作った下駄を30年経った今も履いている人、山本さんの師匠が作った、さらに古いものを何度も修繕して履いている人もいます。
履き心地のよさと耐久性を大切に
「人それぞれ好みや足の形は違うから」と山本さんはすべてフルオーダーで受注するため、在庫はサンプルの2足のみ。「坂道を歩く、平地が中心など、住まいの立地は大事で、職業や好みの違いなど、様々なことを勘案するからオーダーなんです。お客さんが履いているところを思い描きながら作っています」と山本さん。
「お客さんの希望で、日光彫の職人に彫ってもらったものです」と、納品直前の日光下駄を見せてもらいました。お父さんの定年の記念に、家族みんなの分を注文されたもので、これは息子さんの希望。レトロでかっこいいものがいいと、竹皮の色もこだわったそうです。工業製品と違って、自然素材を使った手仕事だから2つと同じものはありません。きっと生涯の宝物になることでしょう。
「毎日同じことをやって、よく飽きないね、と言う人がいるけど、追求していくと全てに発見があり、工夫の種があるから、飽きないんです。下駄は履物だから、第1に履き心地、第2に耐久性。体重50kgの人でも100kgの人でも長く履けるように。機能性を考えるとデザインは自然に浮かんできます。下駄を履きたいという人、一人一人の要望に応えたい」と山本さん。六本木の有名ブティックから洋服に合わせたいという注文が来たり、贈答品の相談がきたり、新たなコラボレーションにも取り組んでいます。
●山本さんの日光下駄は、星野リゾートの温泉ブランド「界 日光」でも注文できます。
日光下駄 山本政史
住所:栃木県日光市川室23−4
電話番号:0288-21-8966
Text:松田きこ